こちらは芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」に出展した作品のテキストです。

YouTube動画という形式で、我々は「東京」と「伝書鳩」をテーマにした作品を作成しました。

 

伝書鳩は太古の昔からつい最近まで、我々人間とともにいました。

少なくとも古代エジプト時代にはすでに手紙を運んでいた記録があり、人類最古の通信技術の一つといっても過言ではありません。

帰巣本能を利用したその性能は極めて高く、1000kmを越える距離を運ぶ鳩までいます。

そんな伝書鳩ですが、一定の割合で、手紙を持って飛び立ったきり戻らない鳩が必ず出てしまいます。猛禽に襲われたのか、迷子になったのか、その理由は誰にもわかりません。

 

現代、高速通信技術が急激に発達し、伝書鳩は姿を消しました。

しかし、公園や街角で見かける彼らの中には間違いなく、戻らなかった伝書鳩、役割を失って、放たれた伝書鳩の名残が息づいているのです。

「伝書鳩」という役割に関わる複数の視点を通じ、街を静かに、新たな視線でみつめる作品となっています。

  

(テキスト・声・撮影・編集:阿部健一・塩田将也)

住めば都

 

[子供達の王様]

 

今を生きるお前達よ。私はかつて、鳩だったものだ。それがお前達に話す。

お前達はこの私の、遠い未来の子供達だからだ。

かつての鳩として、この空を飛び、この地面をついばんだ私が、お前達、今を生きる鳩に話す。

 

 

お前達は知っているだろう。指の先からいろいろなうまいものを出す、しわだらけの柔らかい生き物を。

私が鳩だった頃、私は彼らに力を貸して生きていた。

彼らは、うまいものを出すだけが能ではない。彼らの指は、手紙も出すことができる。我々は往々にして彼らを侮るが、指から手紙を出すこの技は、我々はもちろん、他のどんな生き物にもできないことだ。

しかし、お前達も知っての通り、彼らは奇妙な生き物だ。

私は、お前達の知らない、彼らの最も奇妙な性質を知っている。

 

彼らの手は手紙を出す。しかし、彼らはそれを相手に伝えるということにおいて、全くの無力なのだ。

手紙が彼らの手から出る時、彼らが手紙で何かを伝えたい相手はそこにいない。いない時にしか手から手紙が出ないのだ。奇妙なことだ。

手から出すだけで、届けることのできない彼らはつまり、餌が欲しい時に鳴くことしかできない雛鳥と同じ。誰かが彼らの親鳥となって、甲斐甲斐しくそれを運んでやる必要がある。

手紙を背負い、雨やナメクジから守り抜くもの、それが私だった。

私はお前達の親である。同時に、彼らの親でもあったのだ。

 

だが、今を生きるお前達は誰も、ただの一度すら、彼らのために手紙を運んでやったことなどないことを、私は知っている。

彼らはいつ巣立ったのか。お前達は不思議に思うだろう。

私は、巣立ちの時を覚えている。とても大切な話だ。今を生きる、お前達に伝えるために私は来たのだ。

 

 

あの日、私はいつものように手紙を抱え、彼らの元から飛び立った。

おなじみのルートだ。迷うこともない。

長い雨が開けたとても爽やかな朝で、背中を焼く太陽が熱かった。

しかし、飛んでそれほど時間も経たないうち、何かがいつもと違うことに気がついた。

それはリズムだった。

体に、自分の筋肉ではない、全く別のリズムが生まれていた。それは微かだが、私の羽ばたきを少し遅れて追うように、あるいは全く関心がないかのように、確かに脈を打っていた。

私は旅を急いだ。

しかし、どんどんリズムは膨れ上がって、私は見えない楽隊を載せて飛んでいるかのようだった。

大変な屈辱だったが、私はおなじみのコースを外れ、手頃な砂場に降り立った。なにより、手紙に何かあってはいけない。

心配して懐をのぞくと、だがしかし、リズムまさにその、手紙の内から響いているのだった。

手紙が、中から動き始めていたのだ。

 

手紙は自分の力で殻を破り、外に現れた。ぐっしょりとしわくちゃの体だった。

手紙は私と一瞬目を合わせると、全身を大きく震わせて、空に力強く羽ばたいていった。

 

見上げ、見送る。

しかし羽ばたいているものは私の手紙だけではなかった。あちこちから数えきれない数の、全ての鳩と同じだけの手紙の群れが羽ばたき、交わった。

ついに昼を夜に変えてしまうほどに大きな一つの塊となった手紙は、たった一声長く、大きく鳴いた。

その声を聞いて、私はこれまでに生まれた、全ての手紙に記された意味を知った。手紙は口をつぐむと、大きく羽ばたき、東の空へと飛んで行った。それはまさしく、この街をあまねく覆うほど巨大な、私たちの姿そのものだった。

 

 

それからだ。彼らの指から一つの手紙も出なくなり、私たちがそれを運ぶこともなくなったのは。

そして私はここで妻と出会い、生まれた子供達のさらに遠い子供達が、今を生きるお前達なのだ。

今を生きるお前達よ、お前達はいつか、羽ばたくことをやめる。しかしその時必ず、お前達の元へ、東の空から見たこともないほど大きな鳩がやってくる。

 

それが今度は、お前達を守り運ぶだろう。

 

(塩田将也)

 


 

[永遠の家]

 

私は地上23メートル、横十間川から北北西に1.8キロと申す場所だ。

ずっと長いこと私は空だった。そして今も空である。

しかし私は私の歴史の中でたった二十年ほど、鳥たちのための家だったことがある。

私はあの時、258羽の鳩が帰る場所だったのだ。

 

足に手紙をくくりつけられた鳩が私を目指し、旅をする。5キロに満たない移動の時もあれば、300キロを超える長旅の時もあった。

すさまじい時には、1000キロを超えて私を目指した鳩もいた。どんな場所から飛び立とうと、彼らは違わず私を目指して飛んできた。

 

私は旅をしない。しかし、彼らが持ち帰ってくるはるかな旅の印象は、彼らの爪や、フンや、くちばしを通じて、彼らが運ぶ手紙以上に私に雄弁に語りかけた。

彼らは100、40と徐々に数を減らし、旅路もお定まりのコースに絞られていった。

やがてある時、私の中から一羽の鳩もいなくなり、私は私が家であることを失い、ただの空に戻った。

 

私の下には今、新しい家が生まれつつある。日に日に成長し、間も無く私も取り込まれ、再び家となるだろう。何のための家だろうか。次に私に帰るものは、彼らのように、旅の印象を語りかけてくれるだろうか。

 

私は再び家になっても、その家がまた崩れ去っても、

ここにい続け、変わらず誰かの帰りを待っている。

 

(塩田将也)

 


 

[わたしは手紙]

 

小さくみじめな鉛筆で、ちぎった日誌の端に書きつけられて生まれたのがわたくしでございます。一文字目が書きつけられ、まどろみの中にてもの思い始めたわたくしが最初に見たのはわたしを刻むふしばった5つの指でした。一文字一文字、墓標に名を彫るように書きつけられる中で、わたくしは、わたくしが手紙であるということを理解しました。

 

わたくしは手紙でございました。手紙は、かたちあるものに意味のある記号が書きつけられたときに手紙として生を受けます。手紙の欲望は非常に単純で、それはただ届き、読まれたいということでございます。生き物がすべからく自らの生きる意味をわからないまま生きることと同じように、わたくしどもも自らの意味を知ることはかないません。行き着く先が本当にわたしの行くべき場所であったのかを判断する材料も持ち合わせておりません。手紙はただ祈るのです。祈り続けているのです。わたしは手紙でございました。

 

 

その部屋には鳩がおりました。その鳩は、足にちいさな筒を抱えておりました。5本の指はその筒の中から手紙を取り出し、代わりにわたしをくるくると丸め、筒の中に格納しました。取り出された手紙、それもまた手紙! ごきげんよう、とあいさつをする間もなく、土で塗られた壁に空いた小さな窓より、鳩はわたしを抱えて部屋から飛び立ったのです。

眼下に広がったのは茫洋とした海原でございます。どこからともなく同じ顔をした鳩が南東の方角から5羽10羽と集まり群れをなし、さながら隊列のようにまっすぐと北西へと向かいました。わたくしを抱えた鳩は後方より三番手でございました。

手紙のわたくしから見ても感じいるほど、彼らはすぐれた鳩でした。しかし、鳩でございます。黒く重たい雲が西南の方角から覆いかぶさり、稲光が一閃。先頭をゆく鳩が白く光ったと思うと弾けるように羽を散らし、視界から消えました。3羽、4羽と光の柱は器用に鳩を撃ち落としていきます。そして豪雨。わたしは祈りました。ついにわたしを抱えた鳩は隊を離脱し、使命に殉じて前進しつづける鳩たちを尻目に、彼方の小さな島に避難したのです。

 

嵐は翌日には去ってゆきました。しかし鳩が飛び立つことはありませんでした。次の日も、その次の日も、鳩は飛び立ちませんでした。そして一週間、そして一ヶ月。鳩はもう、飛ぶことができなくなっておりました。足元に抱えられたわたくしは、自らの未来をも閉ざされたことを悟り、ボトルレターのようにさめざめ泣きました。

 

 

その島には鳩がおりました。それは美しい鳩でした。2羽の鳩はごく自然に出会い、巣をつくり、2羽の雛が孵りました。瞬く間に雛は大人となり、反対に私を抱えた鳩は年老いてゆきました。巣でじっとしている鳩に、こどもたちは時折食べ物を持ってきたり、ただそばにいたりしました。ものを食べることもできなくなったある日、鳩はおもむろに体を投げ出し、両足を激しく動かし始めました。筒を取りはずそうとしていると、わたくしにはすぐわかりました。筒は簡単に取れるようなものではございません。ですが血が滲んでも鳩はやめませんでした。コトリと外れた筒を鳩は嘴で若き鳩たちへと押し出し、ポポポウと鳴いたかと思うと息を引き取ったのです。同じ顔をした若き鳩たちはしばし目を見合わせた後、まるでずっとそうしていたかのように一匹が筒を身に付け、彼らの日常に戻ってゆきました。

 

同じことが何十、何百繰り返されたでしょう。2羽は4羽を生み出し、さらに8羽、16羽、32羽と無限に鳩を生み出していきました。

 

そうしてにわかに繁栄した鳩一族の終わりもあっけないものでございました。鳩が寝静まった夜、あちらの巣にもこちらも巣にも蛇があらわれ、鳩はみな食われてしまいました。逃げ切ることができたのは筒を抱えた一匹のみでございました。

夜が開け、鳩は、自分が最後のひとりであることを理解すると、小さくクククルゥと鳴き、木立の上へと高く飛び上がり、鳩の島に別れも告げず、風にのってまっすぐに北西の方角へ飛んでゆきました。かつて先祖が目指した方向です。ほとんど冬眠状態にあったわたしの欲望がふたたび頭をもたげておりました。

 

 

海の向こうにその町はありました。鳩は迷わずまっすぐ進み、巨大なガラスと石の建物のひとつまでたどり着くと、その上空を行ったり来たりし始めました。しばらくしたあと、鳩は石のへりに降り立ち、硬い灰色の地面をつついてみたりしておりましたが、てっぺんに立つ柱に飛び乗ってから、ぴくりとも動かなくなりました。視線の遠く先には、2羽3羽と鳩が飛んでおりました。

一昼夜ほどそうしていたでしょうか。鳩は地面へ飛び降り、翼を折りたたんだと思ったら、歩き始めました。朝も昼も夜も、道の続くまま、行き先はどこだっていいかのように、筒をかちゃかちゃ言わせながら歩き続けたのでした。街角にはたくさんの鳩がたむろしていました。しかし、鳩はひとりでおりました。私と鳩は、まちのさまざまな風景のなかを漂うように旅をしていたのでした。

 

どれほど歩いたのでしょう。気がついた時には羽は散乱し、はらわたは破裂、左足がもげた状態で鳩は地面に横たわっておりました。何か恐ろしいことが起きたような気もいたしますし、特別なことは何も起きなかったような気もいたします。けれど事実鳩は瀕死で、わたしが格納された筒も大きく破損しておりました。と、もげた足のつけねから私を格納した筒がずるりとすべり抜け落ち、手紙であるわたくし自身も筒の中から投げ出されました。あの日、5本の指が格納した手紙であるわたくし自身をまじまじと見つめていたのは、鳩でした。わたくしは、わたくしの身が軽くなってほどけていくのを感じ、そうして、鳩の一部となったのです。

 

 

わたくしは、翼をめいっぱい広げ雲の上まで舞い上がり、大きく旋回したら翼を畳んで垂直に落下してみたり、鳩にまざって飯を食ったり、ツルツルした床にフンを撒き散らしたり、首を前後に振って歩いたりしながら、そう、いまも旅をしているのです。

 

(阿部健一)

 


 

[かげろう]

 

薄暗い小さな公園で俺はベンチに座ってぼうっとフェンスの向こうに建つ家の壁を見ていた。ここで寝たらあの家はなにか言ってくるだろうか。足の指をアリが這っている気がする。腹も減った。

今朝、解体される小屋を遠くから見ていた俺にネクタイを締めた上にジャンパーを着た二人組の男はなにか言っていたけど、そのときの俺は全然違うことを考えていたから二人の話を思い出せない。もっと大事なことを俺は考えていたんだ。でも鳩のフンをゴシゴシこそぎ落とすブラシの音は覚えている。ゴシゴシゴシゴシ。

 

 

突然ベンチの下から動く黒いものが現れてぎょっとした。鳩だ。俺の足に飽きて地面をうろうろしていたアリが鳩のくちばしの中に消えた。鳩が振り向いて、俺を見ている。俺も鳩を見ている。変わった鳩だな。公園の水銀灯にチカチカし始めた。困ったな、日が暮れる。

ん? 鳩が増えている。いま飛んできたのか? 増えた鳩まで俺のことを見ている。鳩が、増えている。どんどん膨らんでいく。黒いうねりになって、そして俺のほうへ一斉に飛んできた。おもわず目を塞いだ。すぐに振り返って空をみると、何もいない。

 

アリが俺の足を這っている。太陽はまだ空にあった。

 

(阿部健一)

 


 

阿部 健一

uni 代表・演出。都内を中心に劇場外でのサイトスペシフィック、コミュニティスペシフィックな演劇創作を行う。また大学院で地域計画学を専攻し、演劇的視点による空間計画を実践的に研究している。

 

塩田 将也

劇作家・演出家。劇場向けの作品では会話劇の現代における可能性を探求する他、街中で行うパフォーマンスプロジェクトにも、相談役やテキスト執筆などで積極的に参加、活動している。